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文學/小熊秀雄8

一九四〇年 一九四〇年 現代大衆文学批判 ――ユーモア小説 後味の悪い笑ひ 뒷맛이 않좋은 웃음 ユーモア小説に就いては、私よりも一般読者諸者が 数多く読んでをられることと思ふ、そこで読者はどんな感想を得てをられるか、世上のユーモア小説なるものは読み下しが非常に良い、しかし読み終つてしまつてから、たいへん後味の悪いものを感ずるに相違ない、その後味の悪さといふものは、どういふことであるか、一般市民といふものは、ひとつの事実に対して、これはどういふことであるかと、頭が痛くなるほど熟考するといふことが、至つて少ない、内容的に全くゼロな娯楽小説本に対しても、また頭脳の負担の軽いものを求めて、読みつ放しそして忘却する。 유머소설에 관해서는 나보다도 일반독자제군들이 많이들 읽었다고는 생각하는데 독자는 어떤 감상을 얻는것일까? 세상의 유머소설이라 하는것은 주욱 흟어보는것은 좋으나 다 읽고나버.. 2022. 2. 25.
1939年 政治と作家 小熊秀雄 我国の政府はちかごろ文化政策に、積極的に乗り出して、文壇でも政治家と作家との会談の機会が多くなつてきた、曰く農民文学懇話会、都会文学懇話会、そして最近では拓相の肝煎りで大陸文学懇話会もできる、これらの政治家との会談組の作家の中には、生れて始めて政治家なるものと逢つたといふ経験を味つたものもあるだらう、政治家と作家と対談する、それだけでも勝手の違ふものがあらう、政治家にむかつて、ものの言ひ方から習はなければならない、といふ政治家の前には、作家の幼稚園児的な態度が、眼に見えるやうである。 我國의 정부는 요즈음 문화정책에 적극적으로 앞장을 서서 문단에서도 정치가와 작가와의 회담 기회가 많아졌으며,이른바 농민문학 간담회,도회문학 간담회 그리고 최근에는 拓相의 배려로 대륙문학 간담회도 생겨 이들 정치가와의 회담에 참여한 작가중에는 생전 처음으로.. 2022. 2. 25.
1938年 戦場の客人(전장의 나그네) 1938年 小熊秀熊(오쿠마 히데오) 東洋の諺に、待たれる身になつても、待つ身になるなといふことがある。大作家ドストヱフスキイも、待つ身の辛さを経験したことがあるとみえて、『事態の幸福な解決を待ちあぐみながら、暗さと寒さの中で、二時間余も立ちつくしてゐたら、人間は大抵のことを考へ尽してしまふだらうぢやないか』といつてゐる。 동양의 속담에 기다려지는 몸이 되어도 기다리는 몸은 되지 마라!라고 하는 말이 있다.大作家 토스토에프스키도 기다리는 몸의 괴로움을 경험한 적이 있는것으로 보여서 라고 말하고 있다. 日支事変を中心問題として考へてゐる。政府と国民と、そのどつちが事態の解決を――、待つ身、待たれる身であるか。こゝでは一寸どつちがどうと軽忽にきめられまい。何れにしても『有利な解決』を望んでゐる点で同じ立場な筈だ。 人間心理を引きだすこと.. 2022. 2. 25.
1937년 文學と餘暇善用 小熊秀雄 一九四〇年のオリンピック大会際に、第一回国際休暇善用会議といふのが東京で開かれる、私はこの会議のくはしい内容は知らないが、これは社会人の仕事の余暇を、どうしたら娯楽と保健のために費すことができるかといふ『余暇善用』の世界会議であるといふ。 欧洲人はとかく会議が好きで、そしてまた会議の案の樹て方がうまい、開かれた会議の成功、不成功は別として、この種の会議は何等かの形で、文化的意義を結びつけてゐる。 現代人の生活から、余暇といふものを求めたら、或る人からは嘲笑されさうである。サラリーマンは勤務に、学生は勉学に、主婦は家事と育児に追ひまくられて、暇などはないと言はれさうだ。 1940년 올림픽 대회때에 제1회 국제휴가선용대회라고 하는것이 동경에서 개최 되는데,나는 이 회의의 자세한 내용은 모르지만 이것은 사회인의 일의 餘暇를 어떻게 하면 오락과 保.. 2022. 2. 25.